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コロッセオ

Colosseo


コロッセオは古代ローマでも最も有名な遺跡である。もともとはフラウィウス円形競技場と呼ばれていた。45,000~50,000人を収容でき、剣闘士の戦いや公共の見世物などに使われた。フォロ・ロマーノの東に建てられたその姿は非常に印象的。目を見張る外観とは裏腹に、この遺跡はローマ皇帝の権力と残忍性を示すものでもあった。

その内部で、ローマ人は何世紀もの間、文字通り残酷に、剣闘士や猛獣以外にも彼らが犯罪者とみなした何千人もの人々を殺した。コロッセオはローマに建てられた最初の円形競技場であった。大群衆を監督し、大規模な舞台を作り上げるための実用的で効率的なその組織体と同様、そのとてつもないサイズと壮大さをみせつけるコロッセオは、古代ローマ人によって作りあげられた偉大な建築物のひとつである。

歴史

 

コロッセオ内部
コロッセオ内部

コロッセオの建設はおよそ70~72年で、ヴェスパシアヌス帝の下で始まった。選ばれた土地はチェリオ、エスクイリーノ、パラティーノの丘の間の低い谷の平らな場所であった。紀元前2世紀まで、その地域には多くの人が住んでいたが、西暦64年にローマの大火によって荒廃し、その後ネロ帝が大部分を個人の私有地として手に入れた。彼はその地で広大なドムス・アウレアを築き、その前には建物、庭、ポーチによって囲まれた人造湖が建設された。

コロッセオという名称は、ネロ帝が自身の巨大な像(コロッソ)を建てたためとも言われている。その巨像はネロ帝を太陽の神とするもので、高さはおよそ30メートル、金で覆われた古代で最も大きい銅像であった。この巨像を動かすのに24頭の象が必要だったといわれている。

この地域はヴェスパシアヌス帝と彼の後継者のもとで変えられた。Colossusを保存しましたが、ドムス・アウレアの多くは取り壊された。湖は埋められ、土地はフラヴィア円形競技場(コロッセオ)として再利用されることになった。 また、どの都市のネロの領域を人々に返すか人民党員ジェスチャーが彼自身のの使用を当てたとき、ネロの湖のサイトのコロセウムを建設するというVespasianの決定を見ることができます。 他の多くの円形競技場が郊外に建設されたのに対し、コロッセオは街の中心に建築された。これにより文字通り、そして象徴的な意味においてもコロッセオはローマの中心となった。

コロッセオは、ヴェスパシアヌス帝が死んだ79年までに3階までが完成し、最上階は80年、彼の息子タイタスによって完成した。 『ローマ史』を書いた古代ローマの歴史家カッシウス・ディオは、この円形競技場完成の祝賀100日で、およそ11,000頭の野獣が殺されたと詳述している。 建物はヴェスパシアヌス帝の下の息子、ドミティアヌス帝の下でさらに改造され、ハイポジウム(動物や奴隷の住処として使用される地下トンネル)が建設された。また座席を増やすため、コロッセオの上端にギャラリーが増築された。

217年、コロッセオは大火により大きな損害を受け、内部の木製の上層階は破壊されてしまった。240年ごろまで完全な修復は完了せず、その後も250年(252年とも言われる)、320年に更なる修復が行われた。アリーナは、その間も6世紀まで使われ続けた。剣闘士競技は435年ごろまで、動物狩りは少なくとも523年ごろまで続けられていた記録が残されている。

コロッセオは、中世の間、様々な使い方をされた。6世紀後半に競技場内部に小さな教会が建設され、アリーナは墓場に変えられた。観客席下のアーケードは住居や作業場などにあてられ、12世紀ごろまで賃貸されていた記録がある。1200年ごろ、フランジパニ家がコロッセオを所有することとなり、コロッセオは補強され城として使われた。

1349年に起こった大地震によって、コロッセオは南側部分のの崩落という大きな被害を受けた。崩落した石の多くが、ローマの宮殿、教会、病院、そしてその他の建物を建設するために再利用された。 円形競技場の内部の石は広範囲に奪い取られ、その他の建築物に再利用されるか、もしくは(大理石のファサードの場合)生石灰を作るため燃やされた。石を結合していた青銅の留め金は、壁から取り外された。その跡は、今も建物にたくさん残っている。

 

ライトアップされたコロッセオ
夜のイルミネーション
1749年、法王ベネディクト14世は公式の教会方針として、コロッセオが初期キリスト教が迫害された神聖な場所であったと承認した。 彼は、採石場としてのコロッセオの使用を禁じ、キリストの受難のため建物を奉献した。また十字架の道の留を取り付け、それがそこで死んだキリスト殉教者の血液によって神聖化されているものとした。後のローマ法王は、建物にはびこり、後に被害を与える恐れのある多くの植物を取り去るなど、様々な安定化と修復を開始した。ファサードは1807年と1827年に三角形のレンガくさびで補強され、内部は1831年、1846年、1930年代に修復された。競技場の基礎は、1810年から1814年にかけてと1874年に部分的に発掘され、1930年代、ムッソリーニの下で完全にその姿を現した。

 

近年、コロッセオは死刑に反対する国際的なキャンペーンのシンボルとなった。イタリアで死刑は1948年に撤廃されている。2000年、死刑廃止デモンストレーションがコロッセオの正面で行われた。 それ以来ローマの地方自治体は、国を問わず死刑を受けた人が減刑されたり、または釈放されたとき、死刑に反対する意思表示として、コロッセオの夜のイルミネーションの色を白から金に変えている。

内部は崩壊した状態のため、コロッセオを大きなイベントで利用するのは現実的とはいえず、内部には数100人程度の観客席を設置することしかできない。 しかしコロッセオを背景とした大規模なコンサートは行われている。2002年5月にレイ・チャールズ、2003年5月にポール・マッカートニー、2005年9月にはエルトン・ジョンがコンサートを行った。

見どころ

コロッセオの大きさは高さ48メートル、奥行き189メートル、幅156メートルである。周辺の壁の北部分はまだ残っている。各端にあるの特有の三角形のレンガくさびは、19世紀前半に壁をささえるため加えられたものである。現在みられるコロッセオの外部は、実はもともと内部の壁である。

コロッセオは当時の面影を強く残す、保存状態が非常によい建物である。2階と3階のアーケードのそれぞれのアーチには、古代神話の神などの像がおかれていた。木製の競技場の床(現在その床はほとんど残っていない)の下には、複雑な舞台装置や器材部屋、猛獣の檻、通路などがあった。

コロッセオ Colosseo

Piazza del Colosseo, I - 00186 Roma
開館時間:
3/1~10/31 月~日 9:00~18:30
11/1~2/28 月~日 9:00~15:00
定休日:1/1、12/25
交通:地下鉄Colosseo駅下車すぐ バス11, 15, 27, 81, 85, 87, 88, 118, 673番
料金:8ユーロ

 
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